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「迷走する瞑想集783」 2017/08/08

「人はみんな死ぬもんだ」 と悪党モリアーティが大見得を切ったが、それをあんたの口から聞くと
哲学的な意味がすっ飛んでしまう。  どうせ死ぬんだから、俺が多少死期を早めてやっても問題ない・・そう
聞こえる。  しかしこれと似た言葉を、マイクロフトの口からも聞いた。  なんとまあそろいもそろって
達観している登場人物ばかりだこと。


達観しているといえば、通りでお祭りが行なわれる場合の商店街の対応も、いろいろであり面白い。
昨日行ってきた平の七夕祭りでは、日中から人出があるので、通りの商店は全開で商いを行なっていた。
しかるにその一方で、地名は臥せるが、我関せずで堂々と店を閉めている通りもある。
確かにお祭りの当日に、日用品を買いに来るお客はいないだろう。  それに休日・夜更けとなれば
店を閉めて祭り見物をした方が、考えとしては合理的だ。  防犯上の意味もあるのかもしれない。


しかし、ズラリ店を閉めた通りでお祭り見物もなにか味気ない。  確かに、店を開けるか閉めるかは
各商店の判断だ、どうこう言える立場ではない。  お祭りも、市や町が人集めにやっているだけかもしれない。
それに電気代まで使って、協力する義務はない・・・という考えも一理あるような気がする。  それでは
市や町の必死の人集めは、商店とは何のつながりもないのであろうか?


祭りを見に来た他郷の人たちは、入口を閉ざした商店街を見て、彼の地に魅力を感じるだろうか?
お祭りだけ見せてやれば、活気ある商店街にはどうせ関心は持ちやしない・・・と達観しているのだろうか?
「出店がいっぱい出るから、それでいいじゃないか」 そんなものなのだろうか?  祭りを
市町村主導でやるか、商店街主導でやるかの差・・・と言ってしまえば、それまでであるが。


役場と住民との分離が如実に示されて、観察対象としては面白い。

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