「迷走する瞑想集915」 2018/01/20

何度浮気をしても(つまり、ほかの酒に手を出しても)、結局 『奥の松2リットルパック』 に
帰ってきてしまう。  かといって、女優(つまり、高い酒)が美味いのは分かっているが
毎日の晩酌には高価すぎる。  安くて、容量が大きくて、空き瓶の始末に困らないという条件で探すと
選択肢は無限ではない。  その上、酒店の棚の半分以上が、灘と伏見の酒で占められている。


私は、福島県にも酒蔵は多いのだから、なにも他県の酒を飲む必要はないと考え、もっぱら
県内酒造メーカーを酒を飲むようにしているが、一升瓶の紙パック入りはほんとに少ない。
ほかには、秋田産とか新潟産があるぐらいか。  高級品ではないから・・なのだろうか?


で浮気が続かない話の訳だが、私の場合飲み込んだ後に、舌やほっぺたに余韻が残る酒を避ける傾向がある。
つまみと交互に飲む必要上、何時までも残る酒が苦手なのだ。  口に含んでパッと味が広がり
飲み込んでパッと味が消える・・これが理想だ。  それで 『奥の松』 に帰ってしまうのだ。


『奥の松』 にも、普通のと辛口と二種類あって、飲み比べてみると普通の方が私には合っている。
辛口は、イオンまで車で行かないと売ってないし。  逆にイオンでは、普通のやつが置いていない。
家の近くでは酒を売っているところが4軒あるが、パックの 『奥の松』 を置いているところは1軒だけだ。


その 「やまや」 も、『奥の松』 だけが異常に減りが激しい・・ような気がしている。
「なら、瓶入りを買ったらよかろうが」 そういう問題ではない。  最初の3条件を忘れたか。
これは、こだわりの問題なのだ。  で、ほかの 『奥の松』 購入者に言いたい。


「酒はいっぱいあるのだから、ほかの酒を買え!」 現に 「ベニマル」 では、『奥の松』 が消えた。
「少し身勝手な言い分じゃないか?」  そんな気がしないでもない。  しかし
酒飲みは、そうそう銘柄を変更したくない性分なので・・そこのところを分かって欲しい。


「しかし聞いていると、奥の松の宣伝になっていないか?」
「そう聞こえたら心外だ。  私は奥の松酒造となんの関わり合いもない」
「じゃあ本気で、奥の松愛飲者を蹴落としたいのか?」
「供給量が増えてくれれば、なんの問題もないけど」

「迷走する瞑想集914」 2018/01/20

「新興国で生産した安い製品が、国内の物価ひいては労働者の給与の上昇を許さない」  だから
国内の経営者は、より安い労働力を求めざるを得ないのだ・・は、一見正論に見える。
では、新興国ではなぜ 「安く」 生産できるのか?  これを考えてみよう。


どこの国であれ、人が一人生きていくのに、あるいは一般的な家庭を維持するのに
基本的な必需品の量はそんなに差はないと考える。  だからその国での賃金は、それに見合う程度は
少なくとも支払われるはずだ。  でないと、労働力が維持できないから。


なのにその国の生産品を他国に持っていくと、安くなったり高くなったりする。
何がその差を生むかといえば、「通貨の為替レート」 が人件費変換の要素になっていると、私は考えるのだ。
貨幣価値が日本に対して10分の1しかない国で生産すれば、日本国内で100円で売ることも可能なのだ。


労働者の賃金は、それぞれの国内においては適正であったとしても、国をまたげば 「低賃金で使える」 に
変化する可能性がある。  アメリカ合衆国の製造業が、あえてメキシコに拠点を移したがるのも
それが要因である。  メキシコで生産した物を、アメリカで売るから安くできるのだ。


また逆に、メキシコの労働者がアメリカに行きたがるのも、アメリカで稼いだ1ドルがメキシコでは
18.6ペソに変換されるのが要因だと思う。  行った国でカツカツの生活でも、母国に送金すれば
十分な生活資金に変化するのであれば、行くだけの価値はあるに違いない・・たとえ危険を冒してでも。


だから密入国者が豊かな国を目指すのには、必然的な理由がある。  そのほかにも働き口等の問題はあろうが。
しかしもし、為替レートが二国間でそんなに開きがなかったら、どうであろうか?
為替レートが拮抗しているということは、経済力が拮抗しているということでもある。


おそらく出稼ぎには行かないだろうし、また工場の移転も行なわれないだろう。
「それでも、日本の車はアメリカで生産されているではないか」 それは現地生産の方が安く付くからだろうし
二国間の為替レート変動のリスクからも逃れられるから・・だと考える。  アメリカの圧力も多少は・・・。


もし新興国の生活程度が上昇して、国が豊かになってくれば、その国の通貨も一概に 「弱い通貨」 とは
見なされなくなる恐れがある。  もちろん、政情が不安定ならやはり貨幣価値は低いままだろうが、そもそも
正常が不安定な国に、先進国が工場を移転などするはずがない。  そして、安定していれば間違いなく
いずれ生活程度は向上する。  新興国は、まさにそれを望んでいるのだから。  しかし


そうなると、安い賃金のうまみが減少する。  必ずしも 「賃上げ要求の嵐」 だけが原因ではないと思う。
だから日本国は生産国に対して、「強い通貨」 であり続けねば、海外移転した意味がなくなることになる。
海外生産する場合には 「強い通貨」 であった方が良いのだが、逆に国内の物を輸出する場合は
自国の通貨が 「弱い」 方が、他国に対して売りやすいという、生産業は矛盾した望みを持っている。


要するに生産業の望みは 「安く生産して、高く売りたい」 に尽きようから、「どこに売るか」 が
重要な問題になってくる。  日本国内で考えれば、消費動向が安物には見向きもしない状況であったなら
あえて海外移転する必要はなかっただろう。  熟練労働者を捨ててまで。  しかし


高品質で高価格では、国内の消費者にも手を出せなくなってきた。  だから、安い物を作れる体制にしよう
ということになったのかもしれない。  生活賃金が上昇しないのだから、現実的な選択ともいえるのだ。
しかしこれは、経営者や株主の立場に立った視点ともいえる。  消費者の立場にも立っているかのようで
賃金が上がらず、その上職場からも追われる労働者(消費者)のためであったとは、とうてい考えられない。


ある政党が政権を取ったとき円高を放置したのは、もしかすると製造業の海外移転を促進したかった・・とも
取れるのだ。  事実それにより、製造業は続々海外に生産拠点を移した。  製造コストを下げるためには
それしか方法が思い浮かばなかったから。  結果、ますます国内の需要は冷え込んだ。


当たり前だ、供給側でいくら安く作っても、消費する側の財布の中身も減少したら、買うわけがない。
この簡単な原理を理解していない政党が、その時期政権を取っていたのだ。  「国内消費者のためにもなる」
と思って行政運営をやっていたのだろうか?  「物価を抑えられれば」 と熱意を持って・・・。


どう考えても不思議だったのは、そんな政党を労働組合がしっかりと応援していたことだ。
しかし 「会社あっての労働者なのだ」 と捉え直せば、つくづく納得がいくことだ。  あの政策は
現状を仕方のないものとの認識なら、少なくとも間違ってはいなかった。  会社経営者にとっては。


しかし現状からの逃避行動だけでは、改善の余地は生まれないのは明かだ。
彼らの次にやったことは、「無駄の削減」 だった。  いま行なわれている公共事業にしても
何らかの必要性があるから執行されているのに、遠慮なく切り捨てた。  「日本に過不足はない」 と
言わんばかりに。  もはや不足が存在しないのは、大都会だけだろうに・・・。


もっとも小泉政権の時にもやっていたから、一概にあの時の政権を責められないが。  そういえば
おしなべて首都圏出身の長は、全国を見ようとしないのではあるまいか?
大都市は地方によって生かされている、ということを認めたくないのかもしれない。


自然災害によって物流が途絶えれば、いずれはっきり分かることだ。
新幹線で、貨物は運べない。  地下にいろんな物を埋めた道路は、地震でズタズタになる。  そして
電気が止まれば、自販機も店のレジスターもガソリン・ポンプも動かない。

「迷走する瞑想集913」 2018/01/15

「金を行き渡らさせようにも、製造業者が設備投資しないので、借りてくれない」 と銀行が嘆く。
当たり前だろう。  消費者の購買力が落ちているのに、物が売れるわけがないではないか。
だから設備投資など及びも付かない。  設備投資ができないぐらいだから、当然職員の給与も上げられない。
だからますます購買力は落ちる。  かつての 「国民に、買いたい物がもうなくなった」 は嘘八百だ。


電化製品だって、更新は必要なのだ。  永遠に使える物など存在しない。
「生活物資充足論」 は、たんに消費者の資金不足への言い訳に過ぎない。  だから
労働者の給与を強制的に引き上げさせたいと考えるなら、「労働者不足」 は残されたたった一つの方法だ。
会社だって潰れるぐらいなら、初任給を引き上げてでも労働者を確保したいと思うだろう。


そのためには、商品の値上げもやむなし・・と、現在なりつつあるのではないのか?
労働者不足で廃業になるか、高価格商品のため売れなくなり倒産するか、究極の選択を迫っているとも言える。
しかし国民の購買力が復活すれば、高価格商品など問題ではなくなる。  あとは品質の問題だけだろう。
だが給与アップを渋っていれば、間違いなく労働者不足で廃業になる・・となれば、方向は決まっている。


たとえ 「労働単価が急増している。 なんとかしろ」 とお願いされても、「じゃあ、それだけ払ってやれ」
と、返すだけでいいと思う。  「それでは国際競争力が・・」 おいおい日本はほとんどを内需で稼いでいる。
だから国を豊かにしようと思ったら、まず国民のことを考えるべきなのだ。
安さだけで競争しようと思っても、新興国にすぐに追いつかれるのは目に見えている。  そして


新興国の生活が向上すれば、今度は質の高い製品に必ず興味は移ってくる。  だから国内市場を
その高付加価値製品の実験場にしていればよいのだ。  今までは図らずとも、そうなっていたのだから。
そのためには、国民の生活給与をケチってはいけない。  たとえ輸出産業であろうとも・・・。
「おい、ブランド物はたいてい外国製だぞ」 それは安物作りにかまけて、ブランドを作らなかった貴方が悪い。


それから今の労働力不足は、労働者そのものが足りないのではない。
「安い給料のままでは、応募者がいなくなった」 に過ぎない。  まだまだ予備軍はいっぱいいるのだ。
たんに 「労働者獲得競争」 に敗れただけであって、まだまだ本気で心配するには及ばない。
少子高齢化とリンクさせるのは、時期尚早だと思う。  させたい人もいるだろうが・・・。


安い労働力に固執する経営者は、「労働者そのものが足りない」 と、盛んに力説しているようだし。
労働移民を、正当化するための布石なのかどうか?

「迷走する瞑想集912」 2018/01/15

労働組合にバックアップを受けている政党が、さらなる賃上げを民間会社に要請できないということは
「賃上げを極端に会社に迫ると、それにより会社の業績が悪化して、最悪の場合首を切られる」 だからやめて
と、陰でお願いされているのだろうか?  どうもそうとしか考えられない。


自治労などの公務員労組は、自分たちで給料の額を決められない(要請はしても)ことになっているから
たとえ使用者側(つまり行政長官)に政党が賃上げ要請を迫っても、無駄だということは理解できる。
あくまで民間給与が上昇しないと、ベースアップは実現しない。  だから春闘に参加していたのである。
自分たちの給与は年末に改定されるのに、である。  もしそれで上がれば、年を遡って支給になったが。


公務員の給与算定には、公平な第三者機関(人事委員会)以外は関与できない仕組みになっている。
ひとつの 「納得した安全弁」 なのだ。  使用者側と労働者側の双方にとっての。
だが民間会社は違う。  労使双方が納得した上で、賃金改定は行なわれるから
もし労働者側に政党が付いていれば、政党が彼らを応援しても違法ではないだろう。


事実、春闘の時にも応援に来ていたはずだ。  それなのになぜか今は
声を大にして全国に発信することをやっていない。  「頼むから、会社に迫らないでくれ」 と懇願されて
いるかのようだ、と訝かしむ気持ちも起きようというものだ。  挙げ句の果てに
「消費税は、増税すべきだ!」 と言うのでは、何をか言わんやである。


「会社を好調に存続させることが、ひいては労働者のためにもなる」 と考えているようにも見える。
だから賃上げよりも消費税増税を優先すべきだ、その方が会社に与えるダメージが小さいから・・だとしたら
まさに 「御用組合的発想」 である。  会社あっての労働者だという、一蓮托生型というべきか。
政府の出費を抑えようというのも、それにより法人税を安くして貰おうという布石かもしれない・・と
勘ぐりたくなる。


それならそれで、旧民社党的発想であるから、一応労働者側に立っていると言えないでもない。
しかしそれには、経済状態を良くさせていこう、という理想はこれっぽっちも含まれていないのだ。
あるのは、いまの経済状態にどう対処してゆくか、それだけである。  これでは、はっきり言ってじり貧だ。
デフレ状態が長く続くわけである。  好景気を 「バブル」 と呼んで嫌がるぐらいだから。


「国民に金をばらまいたとて、みんな貯金に回ってしまうだけだ」  そうだろうか?
安定的に給与水準が向上すれば、人は必要最低限以外の物も買いたくなる、のではないだろうか?
たとえばボーナスが出た時に、全部貯金に回しただろうか?  ローンを払って貯金した残りで
なにか贅沢をしなかっただろうか?  一部の野党は、目が反対に付いている


窮乏に備えるのではなく、窮乏を打破していくのが、本当の解決策ではないのか。
「経済は水物だ」 と恐れて手を出せないのであれば、国の舵取りは永遠に任せられないであろう。
「景気循環論」 とは、実は自然現象ではない。  人間が、景気の後退局面を作り出しているだけだ。
であれば、好景気も人間が作り出せるはずだ、と思わないのか?  好景気とは金が順調に回っている状態である。


いま現在の状態に対処するのは、ひとえに公務員の仕事だが、逆に言えば
公務員に現状の打破を期待するのは、そもそも無理な要求である。  なぜなら、それをやるとなると
職務権限の逸脱に抵触してしまう恐れがある。  現状に会わせて法体系(職務内容)が整備されているから
もしどうしてもやりたければ、法律の方を変えてやらねばならない。  それには国会の・・・。


それとて国会議員が公務員と同じ発想では、永遠に現状は打破できない、とだけは言っておこう。
その上、部下(公務員)をいじめたがる上司(政党)では、部下が言うことを聞かなくなるのもある意味
頷ける話ではないか。  行政官のトップ(議員=国民)と公務員もまた、一蓮托生なのだということを
忘れているか、知らないのだろう。  公務員一人一人にも生活があるから、危ない橋は脅されても渡れない。

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