「続・迷走する瞑想集87」 2018/07/15

今日は暑い。
家の周りでさえずっているスズメどもが、フライドチキンになって
落ちてこないかと期待しているのだが、奴らもしぶとい。
ヤマバトのポッポ・ポッポや、ウグイスのピーポケチョ(ドンガバチョ風) もお休みだ。
今日は日曜日だしな・・・。


ところで暑い日に頭を冷やすのに、アイスノンのようなものを使用していたが、今年から
「水マクラ」 に替えた。  カワチで探したら、隅っこに一つだけあったのを購入。
なんで 「水マクラ」 などという前近代的なものを?  とお思いだろうが、ちゃんとした訳がある。


保冷マクラは確かに冷たくてよいが、すぐに効果は薄れてくる。  そして体温と同じになれば
もはや何の役にも立たない。  またフリーザーに入れて、凍るのを待つしかなくなる。  要するに
連続使用ができないのだ。  その点水マクラは中に氷を入れられるし、使用中でも製氷皿で次々作れる。


それに中の水は比熱が大きいから、まず体温と同じまでは暖まらない。  つまり、低温が維持できるのだ。
私の小さな冷蔵庫では、フリーザーに二つも三つも保冷マクラを入れられない。  無理に入れれば
オンザロックの氷が作れない。  それがために一つの保冷マクラでは、寝入る前に確実に暖まってしまう。


水マクラに着目したのは、病院に入院した時のことだ。  なぜか旧式の水マクラを使用していた。
そしてこれが非常に具合がよかった。  それで退院すると、ドラッグストアに直行したのだ。
このように私は、転んでもただでは起きない。  そのほかにも、自宅の太古のマットレスを
病院で使用していたメーカーのものに交換した。  これもはなはだ具合がよい。


また入院したおかげで、「国民健康保険限度額適用認定証」 のことも知った。
これは入院時にいくら費用がかかろうと、退院時に 「ある限度額以上は請求されない」 という一種の
公的保険のようなものだ。  これが私が入院した年齢から請求できることを、病院から教えられた。
退院してすぐに市役所の支所に行ったのは、当然のことである。  もう高額請求に怯える必要はない。


ただそれでも、大部屋が空いてなくて仕方なく個室に入ると、その分はまるまる請求が来るからご用心。
「ビジネスホテルに一泊すると思えば・・」 とは言われたが、そのぐらいはかかる。
パジャマもリースのものを借りると、その分は補助対象にはならない。  だから、必要なものは
すべて自宅から運び入れること。  その点は、ビジネスホテルよりシビアだ・・食事は出るが。

「続・迷走する瞑想集86」 2018/07/14

いまや喫煙者は場所を探してタバコを吸わなければならないから、非喫煙者よりも決まり事には厳格である。
レストランの喫煙者用の席に座るまでは、タバコを取り出さないも、もはや常識だ。
しかし非喫煙者のエリア感覚は、全域が侵入可能区域だと思っているから始末が悪い。
避ければいいものを近づいてきて、「タバコ臭い」 と顔をしかめるのは、なんとかの因縁付けに等しい行為だ。


それをエリアをキッチリ分けることで、どちらに優先権があるのかをはっきりさせたのが、今回の
郡山市の 「公共施設敷地内の全面禁煙」 であろうと私は考える・・いかにひねくれていようとも。
極端に言えば、非喫煙者から見れば 「喫煙者には、郡山市所有の施設の利用を一切認めない」 とも読める
のだが、喫煙者から見れば 「じゃあ、それ以外の区域は一切フリーなんだ」 と読めてしまう。


施設外に一歩でも出れば、もはや非喫煙者の抗議はいっさい無効である・・ということなのだ。
これで 「市道の歩道を含む施設の・・」 とやったら、監視は難しいだろうが非喫煙者は大喜びするだろう。
路上喫煙も一掃できるから。  しかしそれはやらなかった、あるいはできなかったと言うべきか。
すべての市道に監視員を付けることなど不可能だし、だいたいにして土木職員が反乱を起こすだろう。


実際は広大な開成山公園でも、常時監視することなど不可能なのだ。
せいぜい中の野球場や陸上競技場から、灰皿を取り去ることぐらいだ。  しかも、携帯灰皿で喫煙を
強行しても逮捕はされない。  なぜなら、条例で決まったものではないから 「条例違反」 にはなりえない。
だから、罰金も取りようがない。  どこかの大都市とは、根本的に違うのだ。


一種のパフォーマンスと言えなくもない。  誰に対しての?  非喫煙者の大声に対しての・・・。
今でこそ 「敷地内全面禁煙」 の先駆けの大病院も、その前は院内に 「喫煙室」 を設けていたのだ。
ところが、部屋の出入りでタバコの匂いが漏れるからであろう、院内が完全禁煙になってしまった。
いまは駐車場を含む敷地内全域が、禁煙対象になっている。  はたして愛煙家は、入院しないのだろうか?


「タバコを吸うなとは言っているが、タバコを吸う人は来るなとは言っていない」 と、たぶん説明するだろう。
厳密にはそのとおりである。  悪事を犯さなければ、たとえ悪人であっても受け入れる・・と同じこと。
そして市役所に 「罰金」 は取れなくても、病院にはいざとなったら 「強制退院」 という手がある。
だから従わせることは、役所よりはるかに簡単だ。  それでなくとも、ベッドの順番を待ってる人は多いし。


「病院規則違反」 で堂々と追い出すことができるのは、たぶん入院する時にサインしたあの書類かもしれない。
だから鼻から勝負にはならない。  病院は他にもいっぱいあることだし・・・。
こうしてみると、市役所と病院の 「敷地内全面禁煙」 は、同じようでいて別物だと分かる。
片方には 「強制力」 が厳然としてある。  「不満なら、出て行け!」 という。


だが、市役所がそれを言ったらアウトだ。
憲法の 「居住の自由」 を犯すことになる。  条例化すれば 「罰金」 は取ることができるだろう。
しかし県内随一のたばこ税を納めている人たちから、「さらに罰金を徴収する気か!」 という抗議は起こる。
「非喫煙者は一銭も納めていないじゃないか」・・「ならば他へ納めるぞ!」 の方向へいくと非常にまずい。


こういう懸念が、はたしてなかったのかどうか?
疑惑はさらに深まる・・月並みな表現で申し訳ないが。


しかし、法律で個人事業主に 「こういう客は追い出せ」 と強制することは、憲法上問題がないのだろうか?
その対象が犯罪者ならまだしも、普通の国民である。  ただ一部の人が不快に思う、と言うだけで・・・。
いちおう 「受動喫煙の害」 という錦の御旗は手にしているが、「主動喫煙の害」 の方が甚大では?


「追い出せとは言っていない。 ただ分煙施設を造れと言っている」  そして違反者には・・・。
結局できなけりゃ 「入れるな!」 と言っているに等しい。  増設施設の借金で苦しむか、それとも
喫煙客の締め出しによる売り上げ減で苦しむか、どっちかを選べ!  と言っているのでは?
なにも 「当店は喫煙可」 をドアに明示しておけば済むんじゃ?  タバコ嫌いは入ってこないし。


あっそうか、そうすると 「喫煙不可」 のステッカーを貼った店の方が寂れてしまうのが
うすうす分かってるんだ。  非喫煙者同士が安心して飲める店なのに、実は客は増えない、と踏んでるんだな。
ならいっそ 「喫煙可」 の店と 「喫煙不可」 の店とで競争させてみたら?
それも、やりたくないのかな?  確かに資金的には、「喫煙可」 の店の方が改造なしで有利だけど・・・。


それにしても、店に客を選ぶよう強制するのは、やり過ぎではないのかなあ?
客が店を選ぶのは勝手だとしても・・・。

「続・迷走する瞑想集85」 2018/07/14

「お前の文章は、結局どこに行き着くのかさっぱり分からん」 の批評は甘んじて受けよう。
自分も書き始めた時に、「締めの形」 がどうなっているかなんてまるっきり想像できないのだ。  つまり
行き当たりばったりというわけだ。  小説家のように、キッチリと構想を決めて書き始めるのではない
・・ということは前に宣言したはずだ。


と断わった上で、本題に入ろう。
今回の郡山市の 「公共施設敷地内の全面禁煙」 について、1~2時間の禁煙を我慢できない者は
「公共施設内に立ち入ることを禁ずる」 という措置だが、これを喫煙者の絶滅を目論む第一歩と見るべきなのか
どうも判断が付きかねる。  なぜなら郡山市は、県内市町村でダントツのたばこ税収入があるからだ。


その税収をふいにしてもよいという決意まで、はたして持っているのか?  が、どうしても判断がつかない。
「どうせタバコはやめられない」 「いずれ新しいタバコを買いに行く」 「その行く先は市内のコンビニだ」
「市内で買えば、たばこ税は郡山市のものだ」  こういうふうに、高をくくっているのか?
郡山の喫煙者は、すべて郡山市内に勤務しているはずだ・・の奢りはないだろうか?


福島市に新幹線で通勤している者なら、福島のキオスクでタバコは買える。
郡山市の周辺町村には工場が一軒もない・・と勘違いしているのか?  通勤者の流れは、一方向だけではない。
それら喫煙する通勤者が、すべて通勤先でタバコを買うようになったら、税収はがた落ちになる。  それでも
「郡山市の判断は正しい」 と胸を張れるのか?  これは脅しではなく、喫煙者一人一人の判断でしかない。


しかし 「施設内の全面禁煙」 を裏返せば、道路上を含めて施設外では喫煙は禁じられていない。
非喫煙者は、抗議すらできないのだ。  つまり、施設内を禁煙にした代わりに、その他の区域においては
「免罪符」 を与えた形になるのだ。  「これだけ施設内では差別されているのだから、せめて・・」 と。
これは喫煙者にとっては、強い味方ではないだろうか?  商店の店先に灰皿を置くことを禁じてはいないし。


要するに 「郡山市の施設内に入らなければ、喫煙者の天国である」 と宣言したようなものだ。
「木星の衛星エウロパに近づかなければ、あとは自由にしてよい」 と地球に伝えてきたように。(映画「2010年」)
曖昧なまま喫煙していたよりは、範囲を決められた方が 「許可区域」 での自由な喫煙が満喫できる・・と
考えを変えた方が得策のようだ。  それが前は 「喫煙スペース」 だったのが、今度は 「喫煙エリア」
に変わった、ただそれだけのこと・・という考えは極端すぎるだろうか?


郡山市の面積からいえば、市の施設の総面積など微々たるものである。
つまり 「そこでだけ、タバコは吸えない」 というだけのことなのだ。  あとは、反転すれば
「自由に使ってよい」 と同じことであって、前より大手を振って吸えることになる。  だから私は
判断に迷っていたのだ。  携帯灰皿は喫煙者の必需品である・・これを最後に言いたい。


たとえトイレであっても、自分の家のトイレは清潔にしておくだろう。  他人に汚されれば腹が立つ。
喫煙者の市民が 「郡山は我が家だ!」 と認識を新たにすれば、ポイ捨てなどなくなるはずだ。
ひどいのになると、吸い殻入れスタンドの真ん前に捨てていく奴がいる。  視覚障害者だったのか?

「続・迷走する瞑想集84」 2018/07/14

むかし映画で爆弾処理班が不発弾から信管を抜き取り、「こいつはもう爆発しません」  「でも爆薬が
しこたま残ってるでしょうが」  「それでも爆発はしません」  という会話を交わしたのを思い出した。
これは何のたとえか?  喫煙者と非喫煙者の来場の心理に似ている・・と私は思う。


喫煙者は信管である。  爆薬本体(非喫煙者)に比べれば、その割合ははるかに小さい。
しかし喫煙者が(つまり起爆剤が) 参加を拒否すれば、爆弾全体は無害(イベント不発) になってしまう
可能性が高い・・これは考えすぎか?  「イベントに喫煙者は、来てもらう必要はない」 でいいのか?


確かに場所をわきまえない喫煙者は、同じ喫煙者の私から見ても不快ではある。
だからといって、彼を殴り倒してもいいという結論にはならない。  場所をわきまえてもらえばいいだけだ。
同様に、「敷地内禁煙」 は 「喫煙」 を禁じてるのであって、「喫煙者」 を拒否しているのではない
・・という論理は成り立つと思う。  しかし1~2時間の禁煙を我慢できないような人は来るな、とも取れる。


つまり 「ここにはトイレがありませんから、小用は会場を出るまで我慢してください」 と言ってるに等しい。
トイレのない会議場だったら間違いなく騒ぐのに、禁煙だけは平気で強いることができる。  それは
自分たちが(つまり非喫煙者が) 正義だと確信しているからであろう。


言っておくが、その 「禁煙」 とてここ数十年来の正義でしかない。
そして 「正義」 の概念は、常に揺れ動いている。
「禁煙」 が完全な正義ではない証拠に、いまだに税金を払って吸うことを許されている。
非喫煙者は、そのたばこ税を 「免除されているに過ぎない」 とも取れるのだ。


より負担の大きい者にこそ、「正義」 の称号は与えられて然るべきもの、ではないだろうか?
この考えは傲慢か?  それでは、より弱い人を装った方が正義を主張しやすいのか?
・・という苦い話はさておいて、もっと堅い話をしよう。


一時 「コンクリートはよくない」 という風潮がまん延したことがある。
農業用や道路排水路は、いまやコンクリート製品の舗装が当たり前になっているのだが、その大親分の
河川の護岸が、コンクリートブロックから蛇籠などの柔らかい物に変えられてきた。  曰く、景観に配慮して。


それは敷地幅が充分に取れるところは、それでもいいだろう。  だが、そうでないところでは
限られた幅でより多くの水を流すのには、抵抗の多い土水路や蛇籠水路より、コンクリート三面張りのほうが
約2倍の水量を流せるのだ。  つまり同じ断面積、同じ勾配で比べたならばだが。


普段は半分も水が流れていなくて、「やっぱり景観は大事だよね」 と余裕をかましていても
豪雨時に 「もっと水を早く排水しろ!」 となってくれば、流下能力の高い方が勝ちである。
水路の流速も単純に2倍であるから、ゴミが沈殿する暇がない。  ただし、一旦詰まってしまうと
今度は2倍の速度で水が集まってくるから、溢れるのも早い。  高性能な水路は、取扱も難しいということだ。


都市部の地上排水は、いわばコンクリートやアスファルトで舗装された水路と同じだから
最終引き受け手の河川に、たどり着くまでの時間が短い。  つまり時間差がほとんどなくドッと集まってくる。
だから都市部を流れる川は、水位が上昇し始まるとアッというまに危険水位になる。  実は
人のことは言えなくて、農村部でもほ場整備後は水路はコンクリート舗装になるのが常だ。


田んぼの潰れ地(→水路敷き)が少なくて済むから、金がかかっても舗装を要求される。  そのほかにも
掃除が楽だとか、漏水が少ないとか色々理由はあるのだが・・・。  しかし河川管理者からは
いい顔はされない。  前に述べた 「洪水到達までの時間」 が短くなり、一気に集中する恐れがあるから。
彼らからすれば、流れる抵抗の大きい山林や草地の方がまだましなのだ。  だがそれは、向こうの論理。


こちら側は、「田んぼ一筆一筆に雨水の貯留能力があり、結果として洪水到達までのタイムラグを作っている」
と反論している。  実際の効果を計測するのは、かなり難しいのだが・・・。  というのは
田んぼ団地は、それぞれに顔があるからだ。  水路の回し方、地形勾配、稲の種類による湛水深の違いなど
すべてが同一の地区など、存在しないといっていい。  だからデータで示しにくいのだろう。


それに今は、田んぼの存在を主張しにくい世の中だし・・・。
お米は、必ずしも作り過ぎているのではない。  消費者があまり食べなくなった・・この要因が大きい。
終戦直後のように国民が本気でお米を要求するようになれば、今の全国の田んぼはフル稼働になる。
それだけの余力は備えている・・今は利用されていないにしても。


田んぼには余力があるが、農作業を行なう人に余力がなくなっている。  いかに
大型ほ場と機械化を進めたとしても、土木作業員と同じようにノウハウが継承されない。
素人が飛び込んでみても、キッチリとお米は生産されない。  田んぼは農業土木工事で造ることができるが
「農業者」 は一朝一夕には育たない。


少ない 「担い手」 に農地を集約しても、それだけでは作業人員がはるかに足りなくなるだろう。
作物を育てるということは、大型機械の運転をできるだけでは、とても歯が立たない。
その方策に一つとして、「お米の買い取り価格を2倍にする」 ということをやれば
後継ぎ不足は金輪際起こらないだろう。  なぜなら、「退職制度」 がないからクビを心配する必要がない。


一応、隠居して年金生活する制度はあるみたいだが、農作業を手伝っていけないということではない。
あくまで 「社長の座は息子に譲った」 だけである。  そうしないと年金が下りないから・・?
でも 「農地」 は依然として親父のものだろう。  それに、施設の管理(水路、農道、ため池等) には
少なからず人手がいるから、猫の手も借りたくなる。  べつに、ご隠居を猫と言ってるわけではないが。

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