「迷走する瞑想集875」 2017/11/24

ポンプのなかった昔に田んぼに水を掛けるには、田んぼより高い地点の水しか利用できなかった。
だからたとえ大河が目の前を流れていようとも、川底が低ければその水はないも同然だった。
そうすると、水を持ってくる方法は二つ。


一つは目の前の大河のはるか上流で取水して、川の勾配より緩い水路で高い位置で持ってくる方法。
ただこれをやると、他人の土地を延々と通らなければならない。  その間の水路の保守はどうする? という
問題が出てくる。  川より緩い勾配の水路は、より土砂が堆積しやすいだろう。  その管理が可能か?
水路の勾配が緩いから、その断面積は当然大きくならざるを得ない。  ますます買収は難しくなるだろう。


では二つ目。  目の前の大河とは別の水源から、強制的に水を引いてくる方法。
山の陰の川(鶴沼川)でこれをやったのが 「羽鳥用水」 である。  白河市、泉崎村、矢吹町、鏡石町、
須賀川市を今も潤している。  そして川ではなく、湖沼(猪苗代湖)から引いたのが 「安積疏水」 である。
両用水とも一部は、河川(隈戸川と五百川) を水路として利用している。


そして両用水とも取水元は、本来は会津・新潟方面へ流れてゆく水であるのも同じだ。
今の世なら権利関係がうるさいから、どちらも反対派により夢物語に終わった可能性は大である。
当時は政府の権限が半端じゃないから、可能だった側面は見逃せないだろう。  もし安積疏水がなければ
郡山市は、新幹線など通過する町でしかなかったはずだ。  重要拠点だろうが、原野が広がっているだけでは。


実は安積疏水は、農業用にだけ役立っていたのではない。
途中に設置した沼上発電所の電力が、日東紡あたりを動かしていたらしいのだ。  つまり
郡山市の工業化にも貢献した、ということになる。  工業が発展すれば、さらに住人は増える。
まさに現在の郡山市民は、西に(猪苗代湖に)足を向けて寝られないことになる。(私は向けてるが)


「エジプトはナイルの賜物」 とはよく言われるが、よく逆賊の地に一大プロジェクトなど持ってきたものだ。
ところで猪苗代湖から取水する計画で、元から水を利用していた会津の農家がいい顔をしないのは当然だ。
なにせ湖水の出口に水門(十六橋水門) を作って堰き止め、湖の水位を強制的に上げようというんだから。
現代ならここで、計画は間違いなく頓挫するだろう。  既得権者の利益が優先するから。


しかし天才的な交渉者はいるものだ。  実は会津の農家も、湖水の水位が変動して取水量が一定しない悩みを
・・・ここに目をつけ、十六橋水門の施工を承諾させた。  「会津にも利益はある」 ということで。
水位が上げられることが確定すれば、あとはその高さからの水路を力業で建設すればいいだけだ。
まさに十六橋水門は、安積疏水建設の突破口だった可能性は大いにある・・というお話。


札束で顔をひっぱたくなんてのは、最低の交渉術である。  金だけであったなら、会津の農家はおそらく
ぜったいに首を縦に振らなかったと思う。  なぜって、自分たちの藩を賊軍扱いしたあの明治政府の仕事だし
しかも、自分たちの損にこそなれ何の益もないプロジェクトだと、考えたとしたら・・・・。

「迷走する瞑想集874」 2017/11/24

たとえば 『柏屋の薄皮饅頭』 は、だいたい製品がどのような物であるかは想像できる。  一方で
『三万石のままどおる』 はどうであろうか?  知っていれば 「ああ、あれだな」 とイメージできるが
初耳だと、お菓子の名前だとは分からないかもしれない。  「それ、リカちゃん人形の親戚?」 とか・・・。


お菓子を前にして説明されれば、名前の由来に納得もするだろうが知らなければ、おもちゃ売り場を
必死になって探すかもしれない。  幸いにして私は、名前を聞いたのと食べたのが同時だったから
恥をかかないで済んだが、ネットが影も形もなかった昔は、赤恥をかいた人もいたのでは。


なぜか郡山の製造業は、製品と縁もゆかりもない名前をわりと平気でつけることがある。
前項の酒のメーカーも、二社とも郡山の会社だ。  やはり安積原野の開墾で、全国の藩士たちが入り乱れた
・・・それが原因しているのではないだろうか?  その上、元々が街道分岐の宿場町である。


強大な領主がいたわけでもないようだし、いわば郡山は、国の安積疏水というビタミン注射事業により
異常に大きくなり出したという経緯がある。  どちらかというと、自然発生的な都市ではなかったのだ。
水が掛からず米が作れない、だから強大な領主が居着かなかった。  こんな土地は欲しいとは思わなかった。
だから逆に、開墾適地が残っていた。  だから明治政府も、ここに白羽の矢を立てたのだろう。


農地を生み出すには、開墾は干拓よりも速効性がある。  干拓はまず、土地そのものを作らなければならない。
開墾に高度な技術は必要ないが、干拓はそうはいかない。  ただ安積疏水建設を除いて・・・。
ある種人為的な街だからこそ、逆にしがらみの感情が薄いのかもしれない。
ほとんどが元を正せば、異郷人だったから・・・。

「迷走する瞑想集873」 2017/11/24

「福島県の磐梯熱海駅って、静岡県の熱海温泉を彷彿とさせるわね。  温泉でも湧いているのかしら?」って
そこは磐梯熱海温泉という温泉地なんですけど・・・。
「会津の東山温泉って、なんか京都を彷彿とさせるわねえ。  昨日今日できた温泉と違うのかしら?」って
そこは昔から会津藩の奥座敷といわれた、由緒ある温泉郷なんですが・・・。


確かに磐梯熱海温泉で、海を望みながらの入浴は無理だし、東山温泉で舞妓さんを見るのも無理だろう。
そんなことを言ったら、郡山市(福島県)で 「大仏さんを拝みにゆく」 ことだって不可能なのだ。
いや厳密には、伊丹空港まで飛んで(福島空港から)、空港からのバスで奈良県に入れば不可能ではないが。
あるいは舞妓さんの団体が、たまたま東山温泉に湯治に来てさえいれば・・・。


こういう荒唐無稽な妄想を最初から排除してしまうから、福島県内のPRはつまらないのだ。
ハッタリがない、といえば確かに真面目ではあるが、製品に手を触れさせなくては始まらない。  だからこそ
青森県の 『青天の霹靂』 という米の命名は秀逸なのだ。  今時、まずい米を開発できるわけがない。
その中で 「あらっ?」 と思わせることが大事なのだ。  味に自信があれば、名前など奇抜でも良い。
少なくとも青森県は、そういうスタンスだろう。  しかし、福島県はなぜか吹っ切れない(天のつぶ)。


おそらく、名前を一般募集しても、最終的に決定するのが老人だからではないのか?
あんまりにもブッ飛んだ名前は、見ただけで拒否反応が起きるのかもしれない。  「ふざけてる!」 とか。
あるいは福島県民には最初から、ハッタリの要素が絶望的に欠けている・・とも考えられる。
応募作品自体が、至極真面目な名前ばかりなのかもしれない。  だから決定した名前も、地を這うような・・。


その中でもマイナーな少量生産品には、ユニークな名前がなくもない。
前に紹介したことのある日本酒の、『ボクの街 郡山』(これは歌の題名だ) とか
『ありがとう県警』(郡山地区警察官友の会企画) とか
ウィスキーの 『963』(郡山の郵便番号)とかは、どうせ福島県民あるいは郡山市民にしか
理解はされまいとは思うが、ニヤリとさせるなかなか思い切った命名である。


ここには歴史の重圧などかけらもない。  しかし味は、いずれも真っ当な酒であった。
けれん味のない名前で棚の隅でほこりを被っているぐらいなら、こういう手もあるということだ。
笹の川酒造には 『963』 の後に、日本酒の紙パック詰めで 『07』 という製品を
是非出していただきたい。  07とは、福島県の都道府県ナンバーである。


「そんなの、他県で売れるかよ」  わからんぞ、紙パックに説明書きを入れれば。

「迷走する瞑想集872」 2017/11/24

私にしてからが、「双葉郡8町村を北から順に言え」 と言われたら、はっきりいって自信がない。
「そのうち海のない町村はどこか?」 とさらに問われたら、「えーっと? ちょっと待ってね」 となる。
答えは 「葛尾村」 と 「川内村」 である。  浜通りにあるからといって、海が必ずしもあるとは限らない。


その上私は、「大玉村」 と 「玉川村」 の名前を、よく混同する(すみません)。
県外にはほとんど居住しなかった私でさえ、この始末である。  しかも県内を、散々歩ったはずなのにである。
自分の赴任したことがない地域は、エアーポケットになっている。  まして強制的な移動のない人は・・・。


だから少なくとも 「福島県」 を応援しようとする者なら、日本全図ではなく 「福島県全図」 を
見ておくことをお勧めしたい。  特に福島県はどこに行っても 「ランドマーク(福島市の信夫山)」 が
見つからなくて、自分が今いるところが分からなくなる恐れがある。  阿武隈山地なんかに入ったら悲惨だ。
会津盆地も茫洋として、分かりづらい。  中通りは、突然変わる市町村の境目が分かりづらい。


だから郡山駅に降りて、「福島原発はどこですか?」 などと通行人に尋ねないように。
超親切な郡山住民だったら、「東の山の彼方の、海っ端ですよ」 と教えてくれるかもしれないが
普通の住民だったなら、「頭、大丈夫?」 という顔をするかもしれない。


いわば、会津若松駅に降りて 「ハワイアンズはどこですか?」 と聞くようなものなのだ。
・・・この比喩が理解できないようでは、ぜったいに県内で路頭に迷うであろう。
いわき駅に降り立って、「喜多方ラーメンが食いたい」 ぐらいなら、高速バスという手もなくはないが・・。


最低でも今自分がいるのが、三つある地域のどの場所であるかは、把握しておいた方が身のためだ。
新幹線で来たのなら、そこは中通り地方だ。  磐越西線で入県したのなら、玄関口は会津地方になっている。
常磐線で来たのなら、間違いなく浜通り地方だ。  その三つは気候も言語も、人間の気質までも違う別世界だ。


間違って別な路線の電車に乗ってしまい、しばらくして気がついた場合、たとえそれが午前中であっても
出発点に戻れるのは夜遅くなる可能性が高い。  なぜなら電車の本数が少ないため。
気がついた駅で降りても・・折り返しの電車を、2~3時間は待つ覚悟が必要になる。
これは笑い話ではなく、まして脅しでもない。

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