「続・迷走する瞑想集13」 2018/05/23

消費税率を上げて消費が冷え込んでも、「それは副次的な効果だから、私どもの責任ではない」 と
てんで他人事で、「財務省は経済産業省ではない」 と意識が縦割りにできてるから、自責の念は皆無だ。
ものすごい頭のよい人たちなのに、「税率を上げれば、税収は増える」 と単純極まりない論理で動いている。
あるいは、動かざるを得ない・・と言ってやった方が、優しいのかな?


財務省は物を売って利益を得る商売ではないから、一方的に税金を徴収するだけだから、ああいう発想も
やむを得ないのかと思ったりするが、顧客を締め付ければ収入も落ち込むだろうことぐらいは
気がつくはずなのだが、たぶん景気の上昇による税収の増は正確に計算できないから、嫌いなのではないか?
それに引き換え税率をアップすれば、アップ前の税収にアップ後の率を掛ければ、簡単に予測税収は求まる。


その単純明快さが、好きだったりして・・・。  そんな訳はないよな。
経済学の勉強だってしてるんだろう。  そんな単純に事が運ばないことぐらい、分かっているはずだが。
では、消費税率の上昇で必ずしも、税収の増加を見込んでいない・・と仮定してみたらどうだろう?
「ほんじゃ、国民をいじめたいだけか?」  というより、国民に楽をさせたくない・・ではないだろうか?


「楽をさせると、みな豚になる」 つまり、労働生産性が落ちる・・と危惧していたとしたら?
中国の古典にも 「人間は、少し貧しいくらいがよい」 なんてのがなかったっけ?
たぶん、満ち足りた大衆などは国を滅ぼすもとだ、ぐらいは考えてそうだ。  いや確かめたわけじゃないが。
「いろいろ勝手なことを言い出すし」 とかね。  しかし


支出の増大の元凶である福祉費用の増大も、みんなが大金持ちになれば年金も保険料も
別に要求なんてしなくなるんだから、一番の削減の方法は 「みんなを大金持ちにしてやる」 ことだと思う。
「そんなことは実現不可能だろう」 財務省もそう考えているはずだ。  しかし、今あらゆるところから
取りまくっている税金類を廃止してみたら、案外 「保険料なんて自腹でいいよ」 となるかも・・・。


実際アメリカはつい最近まで、その方式でやっていたのだろう?  今は、国民皆保険になったようだが・・・。
国民が物を買わないから景気が悪いんじゃない。  国民に物を買わさせないから景気が悪いんじゃないのか?
もっとも、発想を逆転させることは、役人の仕事からは外れるかもな・・・。
役人だって仕事上のことはともかく、政治の失敗の責任を取らされるのは嫌だもの。


「じゃあ、政治家も同じことを考えていたとしたら、最悪だな・・・」。

「続・迷走する瞑想集12」 2018/05/23

「消費税を25パーセントに上げたい。  その代わり他の税金、つまり所得税住民税に始まる一切の税金を
廃止する。  国民の支払う税金は、消費税だけでよろしい」 との提案があった場合、はたして
受け入れるべきだろうか?  税金は確かに、超シンプルになる。  消費税率は極度に高くなるが
ほかの税金がすべてなくなるのだ。  これは思考実験である、念のため。


消費税率云々の前に、所得税が廃止になるのなら大金持ちは、こぞって日本に移住することだろう。
しかるに収入が年130万円以下の者にとっては、もともと非課税であったのだから、何の恩恵もない。
次に、自動車税やタバコ税の廃止について考えてみよう。  両方ともすべての国民が払う税金ではない。
だから、愛煙家で車を2台持っているような人は、飛び上がって喜ぶであろうが、関係ない人は関係ない。


この 「消費税を25パーセントに上げたい云々」 は、ベーシックインカムの逆バージョンなのである。
人により差がある福祉対策費用を、国民一人一人に現金を給付してしまうことにより
最低限度の生活(収入)を一挙に保障しようという政策である。  その代わり、国民保険や年金などはすべて
廃止するという、あれかこれかの究極の選択でもある。  これを裏返したものだと、お考えいただきたい。


さて、消費税以外の税金の完全廃止には、少なくとも反対の意見は出ないだろう。  最低でも
「俺には関係ねえ」 ぐらいだと思う。  それではいよいよ、消費税の大幅アップについて検討したい。
実は小幅アップなら、いろんな方面から 「消費税は上げるべきだ」 との意見がないわけではない。
特に外国に輸出する際、消費税分が戻ってくるという特典がある企業にとっては、どうでもよくはない。


今までは、収入と支出の二段階で税金を取られていた。  それを、金を支出するときのみ税金を取る
というふうに改めるのだ。  ただしそのままでは、税収は激減するのは目に見えている。  だから
その分をすべて消費税に負ってもらわなくてはならない。  ここまでは納得できるね?  で会談終了。
実際、消費税率25パーセントは北欧かどこかでやっている。  だから、架空の数字ではない。


さて、この思考実験に国民全員が諸手を挙げて賛成するだろうか?  「スウェーデンを見習え!」 と
言っていた人を含めて。  仮に実際に案が国会で審議が始まっても、「税の使い道が云々」 とか他で騒いで
結局お流れになってしまう公算は大きい。  「消費税率アップで減収分が、はたして補えるか?」 ではなく。
だから頭の中だけで考えて欲しい。


大金持ちは、それでも日本を逃げ出さないだろう。  もともと高い物を買い慣れていたし。
問題は、それよりは貧しい人たちの方だ。  言っておくが、収税方式が替わってもそれで福祉が手厚くなる
なんてことはない。  だって、総税金収入は同じという設定なのだから。  そこがスウェーデンと違う。
スウェーデンは所得税もガッチリ取るのだろう。  だから大金持ちが居着かない。


で話を戻すが、福祉水準に変わりはなくしかも、生活必需品にも一律25パーセント上乗せして金を支払う。
車やタバコや温泉はまだ我慢できるが、毎日の食費にまでの25パーセントは高すぎる・・感情的ではなく。
働いた分の4分の1がタダ働きと同じことだが、この状況にどこまで耐えられるだろうか?
かといって、消費税の減額を要求すれば、今度はもとの諸々の税金が復活してくるとしたら。


一番いいのは、消費税25パーセントなど屁とも思わないくらいに、収入が伸びればいいのだ・・が
消費が急激に落ち込むだろうから、その望みはほぼ実現しない。  そのうち 「税収が落ち込んだので
税率を30パーセントに上げたいと・・」 との発表があるかもしれない。  そうなるとまさに、悪循環だ。
消費税は公平に集めるようでいて、実は弱い層に過酷なものだ、がまさに実感されるかもしれない。


ここに一つの落とし穴が在るのだが、お分かりだろうか?
消費税は確かに、薄く平均に徴収できるかもしれない。  しかし
同じ税率で同じ税収を確保するためには、おなじ消費活動が保証されてなければならない。
でなければ、同じ税収を確保するために、税率を際限なく上げ続けなければならない場合も、でてくるのだ。
ちょうど 「たばこ税」 のように。


役人は、売値を切り下げて販売数を伸ばし、結局は増益にしてしまうという 「離れ業」 を使わない。
販売数が落ちたら、売値を高くすることで収益を確保する、それだけしか思い浮かべられないのだ。
民間会社ならそれでいずれは倒産するだろうが、なにせ官公庁は不滅だから・・・。
こんな思考実験は悪夢だ・・と思ったのなら、それでもよい。  粗っぽいのは百も承知だ。

「続・迷走する瞑想集11」 2018/05/23

映画 『シェーン』 のポスターが、小学生の時ひい祖父ちゃんに連れて行ってもらった共同浴場の
脱衣所の壁に貼ってあったことを憶えている。  その時は、「西部劇か」 でまじまじとは見なかったが。
実際に映画を見たのは、確かBS放送でやった時だと思う。  「こんな映画だったのか」 が感想であった。
ドンパチがほとんどない、どちらかというと異様に静かな西部劇だ。  おまけに最後は、主人公が去って行く。


確か 『真昼の決闘』 は、逆のパターンの終わり方だったと思う。  「♪オーマイダーリン、オーマイ
ダーリン・・」 の歌が流れ、「クレメンタイン、君の名前が好きだ」 と、アメリカ人とは到底思えない
遠回しな別れの言葉だった。  君の 「名前が」 好きだ・・って、イタリア系が聞いたら激怒するぞ。
まあ、この話はいい。  シェーンも、女主人公に対して終始控えめだった。  流れ者だからだろう。


悪漢どもを全滅させ、馬にまたがって去って行く。  なにも、去って行くことはないんじゃないか?
同居がまずいなら、離れたところに家を建てればよい。  土地は腐るほどある。  だいたい
子供(名前は忘れた)が、可哀想じゃないか。  この頃には、ハッピーエンドが定着していなかったのか? 
ところでシェーンは、対女性の話題や好きな物に、とんと無頓着なようだ。


男対男の世界で、長く生きてきたからだろう。  この点については、私も同感だ。
誰も見たことのない熱帯のネズミキツネザル(マダガスカル産)の習性を、知るわけないではないか。
だいたいカウボーイの世界はそういうものだ。  土木技師の世界にしても、似たようなもの。
大学の先輩は、「就職したら飯場暮らしが長くなって、結婚できなくなる」 と恐れていた記憶がある。


しかし学生の時でも、周りは男ばかりだった。  教育学部にでも入ればよかったのだ、先輩は。
農学部のそれも農業工学科なんて、長い歴史がありながら女性の卒業生は数人しかいない。
看板を掛け替えた今では、そういうこともなくなったようだが・・・。  農芸化学科のほうが
まだ女子学生が多かった。  教育学部では、それが逆転する。  男が貴重品(絶対少数)なのだ。


その話はいい、あまり期待を持たせるのはよくない。
私の場合、高校がすでに男子校だったから、女性を観察する機会がまるでなかった。
まるで、ワオキツネザル(マダガスカル産)を見ているようであった。
しかし、他人に対して 「異質である」 という感情をなくしてしまうのは、かえってよくない。


これがあったればこそ、どのような環境にも入ってゆくことができた・・と私は考えている。
違っている、あるいは分からない、という意識が欠如していると、すべてを同一だと思い込む。
実際はそんなことはないので、裏切られると不信感が増大する。  一生がその繰り返しになるだろう。
最初に、違っていて分からないのは当たり前、と覚悟ができていれば傷は浅くて済む。


なにか 「釈明会見」 のようにも思えるのだが・・・。
ただ、違いを認めるということは、反対に 「強固な自我」 が形成されてしまう恐れはある。
そして、「強固な自我」 は自分ではなかなか認識されにくい。
他人から見て「あいつは・・」 と、指摘されるのがおちだ。  シェーンもそうだったのだろう。


世界第二位の早撃ち速度(一位はゲーリー・クーパー、ただしガキの評価)を誇ったのとは
何の関係もない。  瞬きする間に銃を抜いていた・・が真似しようとしても不可能だった・・というか
だいたい、子供の時に西部劇の映画なんて見たことがない。  チャンバラと怪獣映画だけだった。
写真からの妄想に過ぎなかったのだ。  しかし現在テレビで見ても、やっぱり速い。

「続・迷走する瞑想集10」 2018/05/22

映画 『レンタネコ』 の最後に登場したヨーヨーをやっている主人公の元同級生、これも
不思議な存在感があった。  自分で 「嘘つきハッタリの・・」 と堂々と言い、嘘がばれても
悪びれず逆ギレもしない。  これはこれで見上げた根性である。
自分を真人間ではないと認識しているところは、ダース・ベイダー卿となにか似ているような・・・。


この登場人物だけは、ネコを借りていかなかった。  捕まることを予想していたのだろう。
しかし出所した後でも、この人間性が変わるとは思えない。  この裏面だけのシンプルな人間性が
ネコが逃げ出さなかった所以ではないか?  もっとも、動物を前にして二重人格など意味はないのだが・・・。
ヨーヨーを残して去って行ったのに、なにか意味があるのだろうか?


主人公も、彼を改心させようなどと考えないところがすごい。  まさにありのままだ、ネコと同じように。
そのくせ自分では、目標を次から次へと掲げる。  その矛盾しているところが、この主人公の特徴だ。
そこを、♪空は青いわ~のおばさんに執拗に突かれる。  そして 「あのババア、ゼッタイに許さねえ」
となる。  この主人公も、生まれ変わろうとは全然考えないところは、ネコと同じだ。


それにしても、人は口で言うほど簡単に生まれ変われるものなのか? が、はなはだ疑問なのだ。
生まれ変わった、と判断するのは自分ではない。  外見を変装するようには、自分の意識は変わらない。
「貴方、全然変わってないわねえ」 という同級会の挨拶は、はたして歓迎すべきものなのか?
「全然、大人になってないじゃん」 という意味では、ないのだろうか?  と、さらに裏を探る。


生まれ変わるとは、上にさらに一枚外套を羽織ることではないだろうか?
傍目に見て、人が変わったように見える・・が、もとの自分が消えたわけではない。
重ね着を厚くして動きが鈍くなるような、そんな感じではないだろうか? 大人になるということは。
重ね着は、甲冑の役目も果たす。  戦いには有利だ。  だが、人を抱くには不便だ。


ネコを相手なら、別に裸でも構わない・・そういうことなのかな?
加齢臭の強烈な脇役も、そういえば出てきたなあ。

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